来てない悩みの相談をした結果みたいな駄進行

最近毎日楽しいというか、田舎サイズで優雅に暮らせているので、生きる上での不満っていうのが全然出てこなくなったんですけど。

いつまで暑いんだよ!

暑い中、自転車で通勤しないといけない事だけが唯一の不満です。
休みの日は家にいたり車で出かけたりできるので、外気温が62℃になってようが好きにしろって感じなんですけど。
通勤時間だけは28℃以下になっててくれよ、っていうだけの話なんですよ。

暑い日はバスで通勤する癖をつけようかな。
でも往復720円もかかるんだよな。近所の中華屋で美味しい天津飯が食える値段よ。



「生きる上での不満がなくなった」って話でいうと。
以前は苦しい日常から可能な限り逃避しようとするかの如く、自由な時間の全てをゲームをしたりライブに行ったりすることに費やしていたのですが。
「苦しい日常」なんて無かったんだ!と気づいてから、自由な時間を持て余すようになりました。


⋯⋯なんか、宗教臭い話になってるけど。
仕事はできればやりたくないし、できればずっと家に居たいっていうのは変わらないんです。
だからって「仕事=嫌なもの」ってカテゴライズしてしまっていたから辛かったんですね。
行かなきゃいけない仕事なら、可能な限り楽しもう、というか、楽しよう、って思えるようになるとすごく日常が楽になりました。


⋯⋯なんか、営業トークの入りみたいになってるけど。
このブログは、偶然見つけた僕の知り合いに対する生存報告と、今思った事をメモする日記帳としての機能しかないので、今すぐ誰かを説得したいとかいう意図は無いんです。


僕は社畜として毎日苦しい生活をしてるからツイッターを更新しなくなったわけではないんだよ。
僕のことをよく思ってフォローしてくれている人と、そうでもなく付き合いでフォローしてくれてる人が入り交じる、というか大半が後者であろう中、「あの人また頑張って面白いツイートしようとしてるわ」って思われてるのが怖くなったんですよ。


そんな状況が続くと、以前は家にいる間ほぼツイッターに張り付いていた僕でも「意外とやらなくても困らないんだな」って気づくわけですよ。
そういう気づきから「やらなきゃいけないと思っていたこと」がほとんど気のせいだったことに気づいて。


ツイッターをやっていると、「客観的に見ていいな、えらいなと言われる生活をしていないといけない」っていう気がしてくるんですよ。多分みんなそうだと思うけど。


美味しいもの食べたとか、資格を取ったとか、旅行に行ったとか、車を買ったとか、ライブで良い席だったとか、彼女と幸せに暮らしてるとか、オフ会をしたとか

⋯⋯決して、特定の個人に対する妬みを羅列しているわけではないですよ?ホントに嫌な人のツイートは観ないようにしてるので。
そういうのばっかり観ていると、それができてない自分に劣等感を感じるようになると思うんですよ。


でもツイッターなんて、良い瞬間とか、面白かった事をツイートするものなので、みんなずっと楽しい思いをしているわけでは無いっていう当たり前なことに、劣等感があると気づけなくなるんですよ。


僕は愚痴とかネガティブな事を発信するの苦手なので、面白いと思ったことだけをツイートするようにしてたんですけど、そうするとどこか「ホントは辛いのに無理してる感を醸し出しているのではないか」という疑念が湧いてきて、それがさっき言った疑心暗鬼につながることになるんですけど。


⋯⋯いっつも見切り発車なので、風呂敷を広げてはまとめずに終わる事になるんだよな。つまり何が言いたいかというと、なんだろうね。


ツイッターで大立ち回りすると誰かの迷惑になるかもしれないから控えめにします。今後は主にこのブログで発信していくと思いますので。もし興味がある人はこちらを観てください。」


「この選択は逃げではなく、自分の幸せを追求した結果である。
常識の殻を破ったヨスイちゃんに乞うご期待!」

って感じ?この期に及んでまた風呂敷を広げてる。
こういう話をまとめるスキルってどうやって培うんですかね。

これは深夜に書いてるので、日付改めてまとめ直すと結構うまくいったりするんですけど。
そこまでして訴えたい何かがあるわけではないので、また気が向いたら似たようなこと書きます。

そう、そもそも「今日のテーマはこれ!」みたいなのを決めずに書き出してるからゴールが見えないのよ。
まぁ、ブログってこんなもんよね。12年前くらいからブログ書いてるけど、ずっとこんなだったもん。



「言い訳ばっかり達者だな」