ありがとうを背負って生きたい

ちょっといろいろありすぎて、どうすればいいかわからないです。
あけましておめでとうございます。

もう前回ブログで書いた、人と会うのが嫌だ嫌だとかいう話はどうでもよくなってまして。



その後に母親から、祖父の肺炎が悪化して大変だからお見舞いに行くって連絡が来まして。
翌日、ホントに大変だから病院に泊まるって話になってまして。



そして今日、祖父が亡くなったと連絡がありました。



時期が時期なので、葬儀は年明けてからにするようでして。
それまでどう気持ちの整理をすればよいか、みたいな状況でいるんですけども。



祖父は僕のことをとても可愛がってくれていました。
部屋に僕の写真をいっぱい飾って。メールアドレスにも僕の名前を入れて。
町の会報のインタビューでも、これからの夢として僕の成長が楽しみだって言ってくれたりして。

中学入った後くらいからは身内に対してあんまり可愛げのある対応をしてこなかった僕なので、親戚にもずっと無関心な素振りをしていたんですよね。
照れもあったし「ありがとう」とか絶対素直に言わないタイプでして。思春期特有のやつですかね。

そういうのも、高校卒業した後くらいからは良くないなって気づいていって、
なるべく素直になろうとしていたんですけど。

ちょうどそのくらいの頃から、祖父もボケが始まりだして。その時で80代後半くらいだったかな?
一人で暮らすのも大変になってくるってことで、老人ホーム的な所に入ることになっちゃったんですよね。

それからはほとんど会っていませんでした。
たしか去年の正月あたりに、肺炎で入院したからお見舞いに行って顔を見たのがかなり久しぶりのことで。
この5年で会えたのがその1回だけじゃないかな。

久しぶりに会った祖父は、とてもヨボヨボになっていてショックを受けたのを覚えています。
僕の事も覚えているんだかいないんだかって感じで。
それでも、手を握ると思った以上の力で握り返してきて。
まだまだ元気なんだな!って安心した瞬間でもありました。



一昨日の時点ではまさかこんな事になると思っていないので、予定を早めて急いで帰ろうって決断には至らなかったんですけど。

今となっては、一刻でも早く駆けつけて勇気づけてあげられなかったかなと。
そうしたら、もしかしたらもう少し頑張れたんじゃないかなという後悔もあります。

まぁ、そんな奇跡を起こせるほど善行を積んでるわけでもないので。
結果論として、死に目に会おうと思えば会えたのに、事を軽く見ていたら会えずに終わってしまったのが悔やまれるっていう話です。



もうしばらく葬式なんて行ってなかったし。
血縁者だけでいうと、小1の時に母方の祖父が亡くなった時以来じゃないかって。
なので、全然どうすればいいかわからないというか、葬儀に向かう心の準備が出来ていないんです。

もう90過ぎていたので、遠くないうちに来るっていうのは頭ではわかっていたんですけど。



⋯⋯今日1日いろいろ考えていたのですが、
他の人の「祖父母」に対しての意識ってどんなもんなのかが気になりました。

なんていうか、「祖父母が死んでもそこまで悲しくない」ってタイプの人もいると思うんですよ。
性格が嫌だったとか、完全に覚悟が出来ていたからとか、いろんな理由があると思うんですけど。

僕は今の所思ってた以上にショックで、1日ボーッとしちゃってたんですけど、
「頻繁に会ってたらそこまでではなかったのかな」とか、
「実際に死に目に会えてた方がショック少なかったのかな」とか、いろいろ考えてて。

親族に対して
「普段どう接していて、どう思っていて、死んだ時にどう思うだろう。」
っていうのを考える時間があると、万が一の時に上手く整理できるんじゃないかなって思いました。



⋯⋯なんかもう、他の事に対しても軽口叩けるような心境じゃなかったので、
思ってることひたすら書いてみました。

「孫の成長が楽しみ」と言ってくれていたわけですが、
今後胸を張って何かを「成し遂げたよ!」って報告ができるとは思えないので、
「おかげさまで幸せに生きてるよ」くらいは言える生活を送っていきたいです。